chihachihasan’s blog

普段感じたこと、感動した本、音楽を徒然なるままに書いていきます。

死んだことのある人はこの世にいない

「死んだらどうなるか。」

誰しも不安に思ったことはあると思う。ひどいときは何日もその悩みに悩まされている人もいると思う。今回は自分が思う「死」との付き合い方を書こうと思う。

 

そもそも「死」は恐ることなのか

みんな「死」=怖い、と決めつけている。そもそもそんな方程式は今までの歴史が作ったデタラメだ。いったい誰が死んでから生き返って死んだ感覚を伝えたのか。誰もいない。ソクラテスいわく、自分が知らなないことを知っているつもりでいることが一番の愚か者らしい。確かにその通りだ。自分が知らないことは経験してみないとわからない。そんなことにいちいち頭を抱えるのは時間の無駄だと思う。それよりも好きな子をどうやってデートに誘うか考えたほうがよほど価値があると思う。

このことを読んでもまだ「死」に恐怖を持つ人はいると思う。そんな人たちにはぜひソクラテスの考えに触れて欲しい

 

ソクラテスが現代に残した死の考え方

大きく分けて2つある。

1つ、もし、死後の世界があるなら先に死んでいった素晴らしい先人達と話ができるということ。

今までの人類の歴史で偉大な人物はたくさん生まれたくさん死んでいった。もしかしたら、人類に知られてないだけでウサインボルトよりも足が速い人が死後の世界にはいるかも知れない。もしかしたらキングダムよりも面白い漫画が売っているかも。そんな自分たちの知らない人たちが死後の世界で活躍しているとしたら面白い世界かもしれない。

2つ目は死ぬと無になるという考え方がある。確かに無になるのは恐ろしい。自分が今まで築き上げたものがなくなるのは嫌だと思う。でも、思うが、今までの夢ひとつさえ見なかった夜を選び出しても、死より短いということはないだろうとソクラテスは述べている。そう考えると死に対してポジティブになれるかもしれない。

 

最後に

今まで死に対しての考えを書いたが自ら死のうとするのは決して僕は肯定しない。最初に書いたように自分が知らないことに対して知ったつもりでいることは一番愚かだとソクラテスから学んだ。自分が今、居にくい環境にいるなら、その環境から逃げ出せばいい。逃げ出すリスクなんて逃げてから考えればいい。

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(今回は自分も「死」に対して悩んだことがあったので書きました。決して死を促進しているわけではないことはご了承ください。)

受験の焦りで自己嫌悪になる9月

(自分は今何をしているのか)

(なぜこの環境に身を置いているんだ)

何事においても辛くなった時ふとそう思うことはないだろうか。

「自分は何者なんだ。」この思考は病んでいる時いつも自分の頭の中を巡る。何もかもが嫌になった時、立ち直るにはどうしたらいいのだろうか。もう一度やる気を出すには。

僕は<目的>を再認識することがやる気スイッチを入れる一つの方法だと思う。

 

勉強でも使える<目的>を意識すること

 今9月になって受験勉強も中盤に差し込む。僕も大学受験をしたのでこの時期の苦しみはわかっているつもりだ。

(夏に勉強したのに全然成績が伸びない)

(久々に会った学校の友達にどんどん離される)

 など自分がそうであったように自己否定に陥る人も少なくはないはずだ。まさしく(自分は何者なんだ)思考が脳内を駆け巡っていると思う。そのような思考に陥った時、意識して欲しいのが勉強している<目的>だ。

 


もちろん行きたい大学がある人はその大学の存在が目的であると思う。では、志望校がない人は何が目的だろう。

 

受験の最大の目的

 自分も正直、去年の今頃は行きたいところもなく、だらだらと勉強していた。そんな時、ふと勉強の目的を考えてみた。そこで一つ思ったのが<成長>だ。

 自分みたいな何の取り柄もない人間にほとんどの人と同じ土俵に立てるチャンスがある、ここで立たずしていつ他人と勝負などできるのか、今こそが成長のチャンスだ、そういう考えが頭に生まれた。

 勉強なんかこの先何にも役に立たないと思う人もいると思う。確かに世界史の知識、数学の公式などこれから生きる上で必要ないと思う。ただ、受験勉強で必要なのは「この土俵で頑張れるかどうか」ではないだろうか。今この時を頑張って努力して生き抜く力こそが、これからの社会で必要なんだと僕は思う。

 

受験生へ    f:id:chihachihasan:20180905131020j:plain

 受験生は受験という土俵を用意されているからそこで精一杯努力する環境がある。しかし、大学になると自分が勝負する土俵は自分で見つけなければならない。多くの人は見つけようとせずにだらだらと4年間を過ごすだろう。

 土俵が用意されている環境は<受験>が最後だ。そんな恵まれた環境で頑張れない人はこの先どこに行っても、どんな環境に身を投じても頑張れないと思う。

何か勉強に身が入らない時はぜひ目的を再意識して欲しい。

今からラストスパートをかければまだ間に合う!!

女性と話すのに一歩退く人、ためらってしまう人へ

(どうしてあの人は女性とあんなに喋れるんだ)

(あの根拠のない自信はどこからくるんだ)

 などなど自分の周りの人に対して思ったことはないだろうか。果たして女性と上手く会話できる人と非モテ男の違いはいったい何だろうか。今日はそのことについて述べていきたい。

 

大きな差は女性慣れしているかどうか

 女性と喋れる人は何度もいろいろな女性と喋ることによって生まれた余裕を武器にして喋っているのだと思う。

 やはり余裕は大切だ。スポーツにおいても試合は日頃の練習をどれだけしたかによって生まれる余裕があるかないかでパフォーマンスはずいぶん違ってくると思う。

 一番最初に(根拠のない自信はどこからくるのか)と書いたが実は女性と喋るのが得意だとしてるモテ男たちは自分たちが知らないところで何十回も打席に立って、何十人もの女性と喋って、数をこなした上で身につけた根拠のある自信を身につけているのではないだろうか。

 

女性は一途に愛してくる男が果たして好きなのか

 自分は今まで人を一途に愛することこそが正義だと思っていた。しかし、本当にそうなのだろうか。

 確かに意中の相手と付き合い始めたら、一途に愛することは間違ってない。むしろそれが普通だ。ただ、付き合う前はどうだ。とても飛んだ話になるが、一途に想いすぎて、ストーカーと呼ばれる人種になる人もいる。それこそ世間的に見たら悪になってしまう。ストーカーとまではいかなくても相手が自分の好意に迷惑な気持ちを持っていたら一途の気持ちは正しいものではなくなってしまう。一途に想って、他の女性と喋る機会を自ら減らし、いざ好きな人と喋る時にガチガチに緊張して向こうがつまらないと感じたらそれこそ非モテ男への道を突き進むこととなる。

 (僕にはこの女性しかいないんだ)と思うより(この人がダメでもまだ他にいい人がいるさー)と思って日々を過ごすべきだと自分は思う。自分はつい最近まで前者の思考に陥っていたが、全く楽しいものではなかった。せっかくの人生の貴重な時間を無駄にしたと後悔している。付き合ってからその思考になっても遅くはない。

 

まず一歩前へ

 ここまで自分が思うイケてる男性について少しお話をしたが、とりあえずは自分の席の近くにいる女の子、たまたま授業で隣の席に座った女性に喋りかけるところから始めてはどうだろう。

 まずは勝ち負けの前に打席に立つことを何事にも意識して生きたい。

 千里の道も一歩から。

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この世界でいちばんの奇跡とは。

台風のせいで外にも行けず、部活もバイトもないせっかくの休日が一日家に籠城という無味無臭のもので終わろうとしている午後5時。せめて味をつけようとヘッドホンで音楽を聴きながら部屋を散策した。

滅多に開けない窓際にある背の低い棚の一番下の引き出しを開けると中学の頃の引き出しを見つけた。そこには4年前の世界が広がっていた。

たった4年、されど4年。数字にしてパソコンに打つとずいぶん短く思えるが、精神はもう4年と感じたようだった。ページをめくると自分がおそらく人生で一番好きだと思ったポニーテールの女の子が自分が好きでいた姿で留まっていた。

 

この世界の人口は約70億。

しかしそれは地球の中のお話。宇宙に目を向けると70億以上の数字の生命が存在しうる星が存在する。宇宙は果てしなく広い。そんなことは知っている。ただ、この本を読むとその偉大さをまさしく肌で感じた。正直ありふれた言葉かもしれないが肌で感じるという表現が一番合っているような気がする。

この本を読んで広大な宇宙の広さを肌で感じたら、何を思うだろう。自分はそのポニーテールの女の子を思い浮かべてしまった。そんな天文学的な確率で自分の人生に現れたあの子。出会えたのは本当に奇跡なんだと。僕はその子には何度も気持ちを伝えている(何度も振られているが。。笑)。

好きな人に想いを伝える、世間一般的にそれはとても難しいことらしい。ただ、今LINEをしている人、喋っている人、関わる人たちに出会えたことは本当に奇跡なんだ。ましてや自分が好きでいることができる人に出会えるなんて、好きな人と同じ時代を生きれるなんて。

 

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今、好きな人がいる人、みんな好きな人に出会えた確率をないがしろにしてないだろうか。想うだけで満足という人は全然良いと想う。しかし、振られるのが怖いと思う人はぜひ「宇宙に命はあるのか」(作者→小野雅裕)この本を読んで好きな人に出会えた奇跡を肌で感じてほしい。

漫画の名作とは

こんにちは。9月になっても夏の暑さが残る今日この頃。この漫画を初めて読んだのは、暑さにも負けないメンタルを持っていた大人見習いの頃。(今も見習いなのですが。笑)中学2年の頃だろうか。当時はあまり言葉の意味を深く考えずに読み流していた。そして月日は流れ今年。大学の部活に打ち込みかけていた僕は本屋さんの陳列棚でこの漫画に出会う。「何かが自分のしていることを肯定してくれないか。」部活に入って1ヶ月、周りはサークルなどで広い世界で楽しそうにやっている中、狭い世界で生きようとしている自分はこれで良いのか、焦る自分はこの漫画手に取りレジに向かっていた。

話のあらすじは知っていたはずだ。正直飽きるだろうとも思っていた。「金の無駄遣いか。」そう思いながら読み進めた。だが、自分の思いとは裏腹にストーリーにどんどんのめり込んだ。なぜだ。そう思いながらこの漫画について何気無く検索すると(何かに熱中するのも悪くない)こんな言葉が出てきた。主人公桜木花道がバスケに熱中していく様。その姿に憧れ自分も今のままで良いと励まされていたのかもしれない。

物語も終盤、新装版スラムダンクもフィナーレを迎える。この新装版でフィナーレを迎えても桜木花道は健在し続ける。またくじけそうになってもこの漫画をインスタント麺、小説、漫画が一応は整頓されているカラーボックスに置いておけばまた立ち直れる。読んでそう思える漫画こそが名作なのかもしれない。

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夏のおわりに始めます

夏休みがどんどんと溶けていきます。悲しいものです。このブログでは自分が感銘を受けてきた本、音楽(自分で平成アートと呼びます笑)について書いていこうかなと思います。平成と呼ぶわりにたまに昔の物も出てくるかも。。。笑

さて、記念すべき1回目の投稿は「君は月夜に光り輝く」作者は佐野徹夜さんの小説です。まあまあ読んだことがある人はいると思います。この小説は身近に死を体験している主人公「卓也」が病気によって死を待っている「まみず」の死ぬまでにしたいことを手伝っていく話です。自分の本を読む遅さのわりにこの小説は合宿の行く道中のバスの中で読み終えることができました。読みやすさ、物語の進み具合、ともに最高でした。

特におすすめというか、自分的に最高だったシーンが「卓也」と「まみず」が病院の屋上で夜に天体観測をするシーンです。踏切に望遠鏡を担いで行ったわけでは無いですが。あ、それはBUMP OF CHICKEN の「天体観測」か。。。笑

BUMPは置いといて、そのシーンにEd Sheeran さんの「How would you feel」という曲を流すととてつもないものになります!!確かに黒毛和牛のステーキに焼肉のタレをかけても美味しいですが、あえて塩をかけて肉の本来の旨みを味わおうぜ!的な例えで伝わるでしょうか。(この例えの場合、焼肉のタレとは何か、という疑問は生じますがそこは放っておきましょう。笑)星空を見ながら、まみずは何を感じているのだろう、一方で卓也は?ということをこの曲を聴きながら考えてしまいました。「あ、天体観測のシーンくるかも!!」と思ったら、ぜひ小説を一時中断してYoutubeでこの曲を調べて見てください。

初回はこんな感じで書かせていただきました。多分良くない点ばかりだとは思いますが、書き続けていくうちに修正出来たらと思います。あ、自己紹介を!

ぼくは18歳の大学一年です!大学では部活しながら、夏に溶かされそうになりながら現在を過ごしています。目標は毎日投稿、3ヶ月継続です。自分が感動した、本、音楽とかを取り上げていきたいですが、受験生に向けてのメッセージも書きたいなと思っています。とりあえず今日はこのへんで。

また明日見る機会があればよろしくお願いします!